妥協買いの正体

もの

働いていた頃の私は、給料が入るたびに服や外食と派手にお金を使っていました。25日が給料日なのに、その月末にはもう次の給料日が恋しくなっている状態。2畳ほどのベッドルームのクローゼットは、私の服だけでパンパンでした。

夫は仕事用のスーツや普段着に加え、趣味の草野球やランニンググッズもあり、さらに捨てられない性格から、私と同様にモノがあふれていました。

さらに子どもたちの服やおもちゃも加わり、常に家の中はモノに溢れたカオス状態。

当時は一戸建てで収納も多く、「まだ入るから大丈夫」と思っていました。休日のたびにショッピングモールへ出かけ、新しい服や雑貨を増やすことが当たり前のようになっていました。

妥協買いの正体

部屋を見渡すと、「これ、すごく気に入ってる!」と思えるものがほとんどありませんでした。すべて自分で選んできたはずなのに、です。

なぜか?

それは“妥協して選んできたもの”だから。

ずっとAが欲しいと思っていたのに、値段が高いからといって少し安価で似たようなBを買う。最初は「Aに似てるし、お得に買えた」と満足しても、結局Aが忘れられず、「やっぱりAにすればよかった」と後悔する。

このパターンを何度も繰り返してきました。なぜ学ばないのか。

それは、「高いものを買って失敗することが怖い」から。10万円のものは買えないけれど、似たようなもので3〜5万円なら手が出てしまう。でも、心はずっと満たされない。満たされないからまた同じようなものを買い、結局は働いた時間もお金も労力までもを失っていたのです。

妥協買いをやめたら、暮らしが変わった

持ち物を見直したことで、自分の買い物のクセに気づき、私は「妥協して買うのをやめよう」と決めました。本当に必要なもの、本当に気に入ったものだけ。値段で諦めるのをやめたのです。

高いものほどすぐには買えません。その分、ものすごく考えます。本当に必要だろうか、使いこなせるだろうか。実物が見られるものは店頭まで足を運び、実際の暮らしの中で、使うシーンを想像します。即決はせず、しばらく寝かせて——それでも「やっぱり欲しい」「これじゃないとダメ」と思えたときに購入するようにしました。

今年の引っ越しの際、あらかたのモノをリサイクルに出しました。団地暮らしにはモノが大きくて、多くて、入りきらなかったからです。そうして新しく迎えたしたモノは、毎日見るたびに心を満たしてくれます。他のものが欲しいとはまったく思いません。

買うモノは減りましたが、モノへの愛着と満足感は確実に増えました。“本当に好きなものに囲まれる暮らし”は、思っていた以上に満ち足りた気持ちにしてくれます。妥協を手放したら、心まで整っていく——そんな変化を今、実感しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました